木幡家は江戸時代に郡役人、大諸大名が宿泊する本陣にもなった。そのため出雲地方の作農や商の地主住宅の形式と、本陣宿の機能とをかね備えた建物になっている。享保18年(1733)の建築と伝えられ、一部に松江藩の家老朝日丹波の旧邸が移築されている。臼庭、高い屋張裏天井、引窓、透かし花かご匝様の欄間など、往時のたたずまいかそのまま残る。内部に古い調度品や髪術品を陳列する。苔むした庭には。不昧公が所望したといわれる。片袖の手水鉢がある。本陣の陳つづきに割烹旅館があり。秋から冬にかけては名物料理。鴨の貝庄屋を勤めた家で、参勤交代の折には焼き味わえる。出雲平野の築地松吹きつける強い北西10mを防ぐために家屋にめぐらせた防風林。生垣状に植えたマツをきれいに憂方形に刈り込む。見渡す限りの田園風景のなか。それは緑色の盤のように見える。築地松、あるいは屋敷松とも呼ばれる出雲平野の風物詩だ。