私が恋愛結婚にあまり積極的でないのは、結婚の前に菊池寛という文藝春秋を創立した作家の『恋愛病患者』という戯曲を読んだのも一つの理由である。もう好きで好きで、のぼせ上がって、熱が下がると、もう顔を見るのも嫌だ、という話であった。恋愛進行中は、客観的に相手を見られないから、見合いよりは危険度が高いということ。恋愛はハシカのようなものだとも言っていた。近ごろの見合いならば、お互いの条件を冷静に判断してのち、ある期間つき合って、このひとは好ましい、このひととだったら一生暮せる、このひとだったらある程度犠牲になっても惜しくない、そういう覚悟がついてから結婚になる。それは恋愛結婚に近い状態になることで、初めにちゃんと調べがついているから安心だと思う。私は娘時代に、誰かのために死ぬのなんか真っ平御免だと思い、歌舞伎の心中物など大嫌いであった。それほど好きな相手が出来たら、まず逃げようと思った。私自身やりたいことがいっぱいあるのに、そのひとに骨抜きにされて、朝から晩までそのひとのことを思う、そんな状況にはとても耐えられない。兄や弟の友人にどんなに素敵なひとがいても、このひとのために自分を捨てることができるか、いやできないと思った。私の友人には恋愛結婚をしたひとが多いのだが、あとで裏切られた例もまた多かった。私の友人たちはたまたまみんな生活力があって、女でも容易に一家を支えられた。すると男が女の経済力に頼ってくる。恋愛のかたちをとって。そして男に一応の実力、自活力がつくと、あっさりと私の友人を捨てて別の女の許に走る。芸能界では、収入の不釣り合いということで、よく離婚があるようだ。私はあれは、経済力の問題ではなく、他にもっと好ましいひとができたということへの弁解だと思う。私の友人と別れた男のひとたちは、性格の不一致などを理由にしたが、それも弁解。別の相手に惹かれたのだ。性格の不一致は離婚の理由にはならない。私たち夫婦は趣味も性格もまったく不一致である。不一致だから互いに相手に興味がもてるし、相手を理解したいという愛情も湧くのだと思う。第一、性格の不一致など、結婚以前にわかっているはずである。収入の不釣り合いも恋愛中にわかっているはず。およそ夫婦の収入など、どちらが多くても少なくてもそれが理由で、相手への愛情や尊敬の心がゆらぐというのはおかしいと思う。日本は戦後すごく貧しい時期があって、世の中にはお金に目が眩んだひともあったらしいが、お金を多く持っているからといって、恋愛の相手に選んだとすれば、それは初めから恋愛ではなくて、利己的打算に過ぎない。とにかくくりかえして私は、恋愛にしろ見合いにしろ、結婚式での誓いを守る、離婚などしないという堅い決意の下に、新しい第一歩を踏み出す、それが人間としての誇りであり、生き甲斐であると思いたい。