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スタイルって要するに「スタイルがよく見えること」

「あの人は、スタイル抜群!」そんなふうに、日本語の「スタイル」はプロポーションと同じ意味に使われるが、英語の「スタイル」は体つきについては用いられず、あくまで服や髪や生活様式のみを語る言葉。でも、日本語の「スタイル」が示す通り、それは、プロポーションも含めた様式美である気がする。スタイルを持つとは、何も自分の主義やこだわりを頑なに守り通すことではない。むしろ、自分がどんなものをどう着たらいちばん美しく見えるのか、その決定的なカギを見つけることなのだ。たとえば、シャネル・スーツが20世紀モードの生んだ究極の様式美とされ、シャネル「スタイル」として現代も生き続けているのはなぜか?それが。洗練・の揺るがぬモデルであるのは、もちろん誰が着ても必ず「スタイルが良く見える」から。誰が着ても、ほっそりと女らしいプロポーションに見えるからである。たとえば、ヒザ頭がちょうど隠れるくらいのスカート丈や、適度なゆとりを持ったタイトスカートのシルエットは、それだけで体型補整効果を持ち、カーディガンタイプのジャケットと、胸もとにジャラジャラとあしらったビジュー……それは不思議に女を華奢に見せる力を持ったと思う。いや、太っている人は華奢に、やせすぎの人は華やかにと、両面で女の体を美しく見せるマジックをそれは持っていた。それがすべて計算ずくだったかどうかは知らない。けれど、それがひとつのスタイルとして半世紀後も生き続けることを、ココ・シャネルはどこかで確信していた気がする。なぜならココ・シャネルは自分自身もそれをトレードマークのように好んで着ていた。自分をいちばん美しく見せるスタイルであることをよく知っていたからだろう。だからマドモアゼル・シャネルは究極の「スタイルのある人」……。同じように自分をいちばん美しく見せる様式美、探し出してみてほしい。